三島由紀夫はよく本を読んだ。「花ざかりの森」を発表した翌年、十七歳にして、本屋の棚にある、関心のある本は読みつくしていた。三島は、それらの本を同年代の学生に薦めるという形で紹介している。
「本のことなど―主に中等科の学生に―」〔収録:『決定版・三島由紀夫全集』第二十六巻(平成十五年一月十日・新潮社)〕(擱筆当時未発表・全集にのみ収録)
「本がないといふが本屋の棚は相応にギッシリ詰つてゐる。古本屋も同様だが半ば以上新本に侵食されてゐる。兎に角売れるのである。さうした風潮はなにかヒステリックなものを感じさせる。とまれ私共はほんたうの良書をよめばよいのである。古典はその点神明にてらしてまちがひがないものだ。」
右のように書き始め、古今東西の本を、著者、訳者、出版社の名も添えて記述している。
以下、文中の表記に添って列挙する。
古典
「国文学史 平安朝篇」(藤岡作太郎著、上下二巻、改造文庫)
「往生要集」(岩波文庫)
「和泉式部日記」(岩波文庫)
「増鏡」(岩波文庫)
「栄花物語」(岩波文庫)
「古事記伝」(改造文庫)
浄瑠璃
黙阿弥の戯曲
近代詩
「丸山薫 物象詩集」(河出書房)
「伊東静雄 夏花」(子文書房)
「三好達治 艸千里(くさせんり)」(創元社、四季社)
「一点鐘」(創元社)
「立原道造詩集」(山本書店)
「田中克己 神軍」(天理時報社)
「大手拓次 蛇の花嫁」(竜星閣)
「薔薇は生きてる」山川八千枝著(甲鳥書林)
句集
「久保田万太郎句集」(三田文学出版会)
歌集
古今集
新古今集
「明治天皇御集」(新潮文庫)
「吉野朝悲歌」川田順著(第一書房)
「幕末愛国歌」川田順著(第一書房)
小説類
「聖家族」堀辰雄著(新潮社)
「燃ゆる頬」堀辰雄著(新潮社)
「かげろふの日記」堀辰雄著(創元社)
「菜穂子」堀辰雄著(創元社)
「麦藁(むぎわら)帽子」堀辰雄著(四季社)
鏡花―荷風―潤一郎―春夫―辰雄
鷗外、漱石、稲垣足穂
「蘆刈(あしかり)」谷崎潤一郎著(創元社)
「春琴抄」谷崎潤一郎著(創元社)
「吉野葛(よしのくず)」谷崎潤一郎著(創元社)
「蓼(たで)喰ふ虫」谷崎潤一郎著(創元社)
「猫と庄造と二人のをんな」谷崎潤一郎著(創元社)
「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」谷崎潤一郎著(創元社)
「田園の憂鬱」佐藤春夫著
「女誡扇綺譚(ぢょかいせんきだん)」佐藤春夫著
「旅びと」佐藤春夫著(改造文庫「厭世家の誕生日」に収録)
「掬水譚(きくすいたん)」佐藤春夫著(「ぐろりあ・そさえて」のぐろりあ文庫)
「泉鏡花全集」
随筆
内田百閒(新潮社)
中川一政、鏑木清方
「顔を洗ふ」中川一政著(前中央公論社)
評論
「日本の橋」保田與重郎著(東京堂)
「戴冠詩人の御一人者」保田與重郎著(東京堂)
「英雄と詩人」保田與重郎著(人文書院)
「浪曼派的文芸批評」保田與重郎著(人文書院)
「後鳥羽院」保田與重郎著
「エルテルは何故死んだか」保田與重郎著(新ぐろりあ叢書)
「民族と文芸」保田與重郎著(ぐろりあ文庫)
「佐藤春夫」保田與重郎著(弘文堂教養文庫)
「古典論」保田與重郎著(雄弁会講談社)
「和泉式部私抄」保田與重郎著(育英書院)
「日本語録」保田與重郎著(新潮社)
「万葉集の精神」保田與重郎著
「港にて」萩原朔太郎著(創元社)
研究的著作
「シラーと希臘(ギリシア)悲劇」新関良三著(東京堂)
「吉野朝の悲歌」川田順著(第一書房)※再掲
「歌舞伎入門」飯塚友一郎著(朝日新選書)
「近松門左衛門」黒木勘蔵著(大東名著選)
「近松以後」黒木勘蔵著(大東名著選)
「東山時代に於ける一縉紳の生活」原勝郎著(創元社・日本文化名著選)
「国史総論」内田銀蔵著(創元社・日本文化名著選)
翻訳書
「海潮音」上田敏訳(改造文庫)
「珊瑚集」永井荷風訳(第一書房)
三好達治のボオドレエルの訳(青磁社「仏蘭西詩集」に収録)
「酩酊船(よいどれぶね)」小林秀雄訳(青磁社「仏蘭西詩集」に収録)
「悪の華」三好達治訳(青磁社「仏蘭西詩集」に収録)
「ランボオ 地獄の季節」小林秀雄訳(白水社、岩波文庫)
「ランボオ詩抄」中原中也訳(山本書店・山本文庫)
「ランボオの手紙」祖川孝訳
「ルナアル 博物誌」岸田国士訳(白水社)
「メリメ全集」岸田国士訳(河出書房)
「プルウスト 心の間歇」井上究一郎訳(弘文堂世界文庫)
「ベディエ トリスタン・イズー物語」佐藤輝夫訳(冨山房百科文庫)
「ラファイット夫人 クレーブの奥方」生島遼一訳(岩波文庫)
「ルナアル 葡萄畑の葡萄作り」岸田国士訳(岩波文庫)
「ラディゲ ドルヂェル伯の舞踏会」堀口大学訳(白水社)
「ラディゲ 肉体の悪魔」土井逸雄・小牧近江共訳(改造文庫)
「モオラン 夜ひらく」(新潮文庫)
「モオラン 夜とざす」(新潮文庫)
「コクトオ 怖るべき子供たち」東郷青児訳(白水社、新潮文庫)
「プルウスト 若き娘の告白」五来達・近藤光治・斎藤磯雄・竹内道之助共訳(三笠書房)〔後に「愉しみと日々」の名で再版〕
「フルニエ モオヌの大将」水谷健三訳(白水社)
モオランの訳は堀口大学
ラディゲの「舞踏会」、「クレーブ」の訳、「葡萄畑」の訳、これは三大名訳、フランス文学邦訳の古典
「ランボオ」リヴィエール著、辻野久憲訳(山本書店)
「マルテの手記」大山定一訳(白水社)
「リルケ 神様の話」谷友幸訳(白水社)
「旗手クリストフ・リルケの愛と死の歌」塩谷太郎訳(昭森社)
リルケの詩は芳野蕭々の訳(第一書房)
ハイネ、ゲエテの詩集
散文の訳は三笠書房版や冨山房版
「ドイノの悲歌」芳賀檀(まゆみ)訳(新ぐろりあ叢書)
「沈鐘」ハウプトマン著、阿部六郎訳(岩波文庫)
諸国のもの
「ぽるとがる文」佐藤春夫訳(竹村書房)
「ルバイヤット」森亮訳
「ワイルド詩集」日夏耿之介訳
「ギリシア抒情詩選」呉茂一訳(岩波文庫)
「ギリシア悲劇 タウリケのイピゲネイア」呉茂一訳(岩波文庫)
「ギリシア・ローマ古詩抄」呉茂一訳(岩波書店)
「小泉八雲全集」(第一書房)
「怪談」小泉八雲著、平井程一訳(岩波文庫)
支那文学は佐藤春夫訳
「かなしき女王」フィオナ・マクラオド著、松村みね子訳(第一書房)
A4版四百字詰「MARUZEN」原稿用紙十四枚。署名は末尾に「平岡公威」。
擱筆の日付は十七・九・二十八。
調べて読んだ
「小説とは何か」〔初出・「波」(新潮社)に昭和四十三年五月から昭和四十五年十一月まで十四回連載、未完〕より抜粋
「舞良戸(まいらど)」といふ名の戸がある。(中略)
私は明らかに、舞良戸は、ただ「舞良戸」と書くことを以て満足する小説家である。そして私は、読者に次のやうに要求する権利があると信ずる。すなはち、「もし私が『舞良戸』とだけ書いて、ただちにその何物なるかを知り、そのイメーヂを思ひ描くことのできる読者こそ、『私の読者』であり、あなたはこの小説のこの部分において、古い一枚の舞良戸がいかなる芸術的効果を発揮してゐるかを知り、かつ、それは必ず舞良戸であるべく、ガラス戸であつてはならないといふ芸術的必然を直観することのできる幸福な読者である。しかし、『舞良戸』といふ名から、何らの概念を把握しえない読者は、躊躇(ちゅうちょ)なく字引を引いて、その何物かを知り、この言葉、この名をわがものにしてから、私の小説へかへつてくるがよろしい。さうしなければ、あなたは私の小説の世界の『仮入場券』を手にしてゐるにすぎず、いつまでたつても『本券』と引換へてあげるわけにはいかないのだ」と要求する権利を。(以下略)
読み尽くした
「悪の華―歌舞伎」〔昭和四十五年七月三日、国立劇場講演記録・題名は「新潮」(昭和六十三年一月号)編集部が選定〕より抜粋
私は母に一所懸命ねだつて、歌舞伎を見始めた、それが戦争がすんで、昭和二十四年、五年まで、でせうか。その間、十年間といふもの、私は歌舞伎を一所懸命見た、一番夢中で見た時代なんです。
どのくらゐ夢中だつたかといひますと、当時は戦争がだんだん酷くなつてきて、良い本が出なくなつてしまつた。その時代に古本屋をよく歩いて、浄瑠璃を読みました。この浄瑠璃といふのは、今の若い人にはなかなか読みにくいのですけれども、当時は読むものがない、といふこともあつて読み出したら、とても面白い、近松(門左衛門)を全部読んでしまつた。その次ぎは(竹田)出雲を読んだ。その次ぎに(近松)半二を読んだ。(以下略) ※()は編集部
時間芸術の特色
〔「古事記」と「万葉集」―『日本文学小史』の内―]〔初出:「群像」昭和四十四年八月号〕より抜粋
われわれは文学作品を、そもそも「見る」ことができるのであらうか。古典であらうが近代文学であらうが、少くとも一定の長さを持つた文学作品は、どうしてもそこをくぐり抜けなければならぬ籔なのだ。自分のくぐり抜けてゐる籔を、人は見ることができるであらうか。(中略)
もちろん籔だつて、くぐり抜けたそのあとでは、遠眺めして客観的にその美しさを評価することができる。しかし、時間をかけてくぐり抜けないことには、その形の美しさも決して掌握できないといふのが、時間芸術の特色である。この時間といふことが体験の質に関はってくる。(中略)
美、あるひは官能的魅惑の特色はその素速さにある。それは一瞬にして一望の下に見尽くさねばならず、その速度は光速に等しい。(中略)
同じ時間芸術でも、音楽史が、ほとんど文学史や演劇史から独立して論じられない日本では、音の堅固な抽象性と普遍性を羨む必要はあるまい。文学史は言葉である。言葉だけである。(以下略)
文学作品の読み方
「私の読書術」〔初出:「週刊朝日」昭和四十四年一月三日号〕より抜粋
本とはよくしたもので、読むはうに「読書術」などといふ下品な、下町風な思ひ上がつた精神があれば、本のはうも固く扉をとざして、奥の殿を拝ませないのが常である。殊に文学作品を読むには、それなりに一定の時間と、細心の注意と、酔ふべきものには酔ふ覚悟が必要である。(中略)
そこで私は、心持を水のやうにして、作品の中へ流れ入るやうに心がける。(以下略)
より批評精神を持った小説を書くために
「私の小説の方法」〔収録:『文章講座』第四巻「創作方法」一(昭和二十九年九月三十日・河出書房)〕より抜粋
「真の小説は小説に対して発する《否(ノン)》によつて始まる。‥‥『ドン・キホーテ』は小説の中で行はれた小説の批評なのだ」
といふティボーデの有名な言葉は、いやになるほどたびたび引用されて、読者もよく御承知であらう。(中略)絵には色彩があり、音楽には音がある。われわれは日常生活においてすら、色彩や音に対しては、芸術的選択をするやうに慣れてゐる。しかし、小説は言葉、言葉、言葉であつて、しかもその言葉は、詩のやうな音韻法則にも、戯曲のやうな構成的法則にも縛られてゐない。(中略)
小説には古典的方法といふものがないから、方法の模索に当つて、批評精神が大きな役割を演ずるのである。「ドン・キホーテ」がそれ以前の騎士道小説に対する批評から生まれたやうに、既成の小説に対する批評を方法論の根拠におくことが、小説家の小説を書く上での最大の要請になるのである。
既成の小説を批評する小説を書くには、既成の小説を知ってなければならない。
三島の夥しい読書量は、既成の小説を超克するためでもあったのかもしれない。三島は、それらの文学作品に酔わされることを恐れず、籔の中に入って行ったようである。
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